味覚と温熱感の類似性(私論)

びおソーラーの松原です。

皆さんにとって「お袋の味」と言えば何を思い出されますか?カレーライス? 玉子焼き? それとも味噌汁でしょうか?私の場合は「味噌煮込みうどん」と「焼きおにぎり」です。「元々名古屋人だもんで味噌煮込みが好きだでいかんわ!」という事もありますが、母が作ってくれる味噌煮込みが大好きでした。母の焼きおにぎりは、普通に握った塩むすびを焙烙の上で焼いて焦げ目をつけただけのシンプルなもので、おこげの味だけで何個でも食べられます。私にとっては醤油をつけた焼きおにぎりは邪道なのです。(笑)

焼きおにぎり

母から嫁に受け継がれた焼きおにぎり

さて今日はその人が持っている味覚と温熱感の類似性について、私なりの非常に勝手な解釈によるお話をしたいと思います。論ずる内容については何の根拠もありませんので、適当に読み流して下さい。

暑さ、寒さの感じ方は人それぞれです。他人同士が同じ部屋にいて、Aさんは丁度いい温度と思っているけど、Bさんは寒いと感じている。年齢や性別、体格、着衣の違い等もありますが、その人が生まれ育ってきた住環境の中で、その人の身体に記憶されている温熱の感覚が判断基準になっているようにも思います。工務店さんから「お客さんに断熱の大切さを説明するんだけどわかってくれない」という話を聞きます。「壁の中の見えない断熱材より素敵なキッチンの方が大事」という価値観なんだとか。でもこれはその人がしっかり断熱された家の快適さというものを知らないという経験の無さから来ているものだと思うのです。

人は生まれて母乳を卒業するとお母さんが作ってくれるご飯を食べて成長します。お母さんが濃い味を好んで、そういう味付けのご飯を作れば、それを食べて育つ子供の味覚はその味が基準となるでしょう。そして他所で食べるものに対してもお母さんの味と比較して「美味い」とか「不味い」と判断するようになると思います。そんな子供も大人になり、社会人となりました。ある日、上司に連れて行ってもらったいかにも〇〇そうな料亭で出された味噌汁を飲んで「こんな美味い味噌汁があったんだ!」と驚き、感動します。この時点からこの人の味噌汁の基準は「お袋の味」から「料亭の味」に格上げされるでしょう。人は経験と比較で物事を判断していると思います。断熱の話も生まれ育った家が無断熱に近いようなものであったならば「冬なんだから家なんてこんなものだ」と判断し、それ以上を求める事はしないでしょう。「よくこんな寒い家に住めるね」と思うレベルであったとしても、その人にとっては当たり前の温熱感という事になります。わかってもらうためには「料亭の味」的な感動体験が必要です。心地よい温熱感も「美味い」と感じる味覚も、どちらも数値では表せない感覚的なもの。「SNSで話題だから」とか「〇〇の評価が☆☆☆だから」といった他人の評価に迎合するのではなく、自分自身が色々なものを味わってみて、その体験の中から何が良いのか判断していくことが大切だと思います。(松原美樹)