びおソーラー誕生秘話/松原美樹
エピソードⅡ
地球の果てで集熱を考える(2000年~2002年)
OMソーラー協会では色々な経験をさせてもらいました。
入社予定の3日前に会社から連絡があり「初日から申し訳ないですが東京へ出張してもらうので7時45分までに浜松駅へ来てください。」から全てが始まりました。
出張先は東京の建築家・秋山東一氏の事務所。
当時のOMソーラー協会は秋山氏が考案された「フォルクスハウス」というOMソーラーを搭載した規格型住宅の開発をスタートさせたところで、この日は関係者が集まって今後の方針を決める大事な会議があるとの事。
右も左も分からない人間がいきなり放り込まれた世界にただ戸惑うばかりで、正直なところ「後悔」が頭を過りました。
フォルクスハウスの立ち上げで全国を駆けずり回った後は、キャノンが開発した建材一体型アモルファス太陽電池をOMソーラーと組み合わせて「エネルギー自給住宅」を実現させるプロジェクトを担当しました。私は建築屋で電気のことは専門ではないのですが、知らない事を学ぶのが楽しくてしょうがないという時期だったからでしょう。まだ20代で若さが満ち溢れていた頃でしたから、本業のOMソーラー以上に太陽光発電にのめり込んでいたと思います。
当時の太陽電池は現在のように誰もが簡単に手を出せるようなものではなく、メーカーも電力会社も全てが試行錯誤の真っ最中という感じでした。
この頃から自分で部品の設計をし、試作評価して量産まで導くという事をやり始めました。
これまでの建築設計とは全く異なるモノづくりです。
現在、びおソーラーの部材を製造してもらっている会社との関係が始まったのもこの頃からです。
びおソーラーにつながる2つ目のエピソードは、アメリカに進出する事になったOMソーラーの技術担当として現地に赴任した事です。2001年の事でした。特に英語ができるという訳でもないのに、なぜ私が選ばれたのかは今でもよく分かりませんが、約2年間の海外経験は自分にとって、とても大きな財産となりました。OMソーラーのUS事務所は、カリフォルニア州のサンフランシスコからゴールデンゲートブリッジを渡った対岸の港町サウサリートにありました。
元小学校の校舎を改装した建物が事務所で「北米でOMソーラーを普及させるぞ!」を合言葉に4人のスタッフで事業を始めたのです。
北米での最初のOMソーラーはカリフォルニア州デービス市の個人住宅に採用されました。
ところが事前の市場調査が不十分であった事もあって技術面で大きな壁にぶつかってしまいました。日本では金属で屋根を葺く事は一般的ですがアメリカにはそういう文化がなかったのです。
太陽熱を集めるためには黒い金属屋根が何としても必要なのですが、文化がないので材料も工具も職人さえも居ません。
そんな状況でどうやってOMの集熱面を作ったらいいのか? これにはものすごく悩みましたが現地で入手可能な材料を探しまわり、それらを使って集熱面をつくる事を考えました。
何とか材料は揃えたものの施工の段になってまた新たな問題が発生しました。
屋根工事にやってきた職人はみんなメキシコ人で英語がわからないというのです。
こちらもスペイン語はわかりません。
結局は自分でやって見せてボディーランゲージで伝えるしかないという状況でしたが、逆に相手も必死にこちらの事を理解しようとしてくれたので予想以上に上手く施工してくれました。
こんな調子で何とか北米1棟目のOMソーラーハウスを完成させる事が出来ましたが、日本よりもはるかに広いアメリカでこんなやり方は通用しない。
何か別の方法を考えなければ事業として成立させることは無理と思いましたが その実情を日本側に伝えても全く理解してもらえず、どうしたら良いものか悩ましい日々を送っていました。
ある時、首都ワシントンDCで「ソーラーショウ」が開催され、我々もこれに出展しました。
その時、一人の若い男性が我々のブースを訪ねてくれたのですが彼はカリフォルニアの太陽熱温水器の会社に勤める技術者で大学時代に空気集熱式ソーラーの研究をしていたとの事でした。
我々のシステムにすごく興味を持ってくれて色々と話をしたのですが その時に思い付いたのは太陽熱温水器の筐体を利用して空気集熱式ソーラーの集熱器がつくれないだろうか? という事です。
早速、そのエンジニアに話を持ち掛けて社長を説得してもらい、アメリカ市場向けの集熱パネルを共同で開発する事になりました。
OMソーラーにも集熱パネルはありましたが 私個人としてはどちらかと言うと否定的に捉えていました。
当時の集熱パネルは集熱性能だけ見れば優れているものの建築の屋根に成り切らない構造のために漏水やメンテナンス上の問題を抱えていたからです。
でもアメリカでは屋根と分離した単独使用のものとして考えれば良いので、集熱性能重視の思い切った仕様を試すことができました。
この集熱パネルは北米2棟目となるカリフォルニア州ナパバレーの個人住宅に投入する事になったのですが、残念ながら私はこの家の完成を見ることなく帰国しなければならなくなりました。
アメリカに赴任していた2年間は「集熱」という事を嫌というほど考えさせられました。
この時の経験が無ければびおソーラーにおいて「集熱パネル」という選択はしなかったかもしれません。
この赴任中にニューヨークで9.11のテロが起こり、アメリカ中がパニックに陥りました。
私たちも外国人という事で特別視される事がありましたが、今となっては貴重な経験をさせてもらったと思っています。
アメリカに建った2棟のOMソーラーハウスは現在どうなっているのだろうか? いつか現地を訪れてみたいと思っています。