びおソーラー誕生秘話/松原美樹
エピソードⅢ
ヒートショックの恐怖(2007年)
厄年というのは単なる昔からの言い伝えではなくて、年齢的に肉体や精神に変調を来す時期なんだという事を身を持って体験しました。
2007年は私にとって本厄の歳。
その冬の夜の出来事ですが 私は自宅のお風呂に入って体を温めてから脱衣所に出てきました。
その時急に胸がキューッと苦しくなったのです。
一瞬何が起こっているのかわかりませんでしたがしばらくするとスッと楽になりました。
痛みは無いですが強く胸が締め付けられて息も出来ないほどです。
その日以来、そういう事がたびたび起こるようになり、放っておいてはまずいような気がして病院へ行きました。
診断の結果「狭心症」との事でした。
心臓の太い血管の一つが詰まっており、辛うじて僅かな隙間を血液が流れている状態との事。
そんな心臓に対して温度差による血圧の変化で多量の血液が流れようとしたために発作が起きたようです。
これが完全に塞がってしまえば心筋梗塞を引き起こすので早急に手術すべきと言われました。
当時の私は見た目には痩せ型でメタボ体型ではありませんでした。
食事も濃い味よりは薄味を好み、タバコもやりませんし、お酒はお付き合い程度。
医者からは「何であなたのような人が?」と言われたくらいです。
手術を受けて血管を広げ、ステントを留置して血液が滞りなく流れるようになったことで無事に回復することが出来ました。
血管が詰まってしまった原因は生活習慣など他にあるとしても家の中の温度差が命の危険につながるという事を経験する事になったのです。
冬場にお風呂やトイレ等で体調を崩し、最悪の場合に命を落としてしまう事故は、交通死亡事故より多いと言われています。
日本の一般の家は、家族が集う居間は暖房されていますがトイレに行きたいと思ってその部屋を一歩出るとそこは寒い廊下という事が多く、この時の温度差は-10~-20℃にもなっています。
たったの1歩だけでそんな温度差に晒されれば誰だってぶるぶるっと震えあがってしまうでしょう。
体温調節の機能が衰え、血管が脆くなってきている高齢者であれば尚更のこと極端な温度差が命取りになります。
空気集熱式ソーラーの家というのは局所暖房ではなく、建物全体を暖めるという考え方をします。
つまり家の中で温度差が生じにくいのでヒートショックを与えない温熱環境をつくることができるのです。
私はこのソーラーのメリットを温度差の危険に晒されている多くの人々に提供できないだろうか? と考えるようになりました。
OMソーラーは基本的に新築に対応するシステムのため既存の建物に導入するには難しい部分がありました。
そこでリフォームに対応できるハードの開発を提案したのですが残念ながらこれを実現することは叶いませんでした。
2008年秋、14年間お世話になったOMソーラーを退職し(株)竜洋という金属加工の会社へ移籍しました。
この会社はこれまで私が設計した部品を具体的な形にしてきてくれた所で「やり残した事をうちで完成させたら」と私を受け入れてくれたのです。
一時はソーラーから足を洗おうと思ったのですが、このような周囲の人たちに支えられて「リフォームに対応できるソーラー」に取り組むことになりました。
新築であれば建物の向きを太陽に合わせて計画する事ができますが、既存の建物ではどちらを向いて建ってるかわかりません。
建物の状態や施主の要望も様々ですから、ある程度フレキシブルに対応できるものにしなければならない。
そこで考えたのが「集熱パネル」の採用です。
建物の方位が悪くて日当たりに問題があっても集熱パネルだけ太陽に向けて設置する事が出来れば集熱できる。
そんな柔軟な対応ができるものをつくろうと思いました。
またリフォームにおいては「夢」よりも「実」を求められる事が多く、まずは予算から話が始まります。
例えば500万円しか予算が無いという人に数百万円もするソーラーシステムを提案することは無理です。
ちょっとやり繰りすれば導入出来るくらいの価格帯で提供できるものにしなければならない。
それによってヒートショックの危険が少ない温熱環境を実現できるならば十分に価値があるのではないかと考えました。
(株)竜洋におけるソーラーリフォーム事業は製品開発に約1年を要し、2010年から本格的にスタートしました。
新築と違って物件毎にアプローチの仕方が異なるので、想像以上に大変です。
でもあるお客様の家でおばあちゃんの生活範囲のみをソーラーリフォームするという仕事をさせてもらったのですが 完成してソーラーの集熱空気を取入れ、ほんのり暖かくなった板の間に座布団も敷かずに座り込んだおばあちゃんが「気持ちいいねぇ」と言ってくれた時は「つくって良かった!」と心から思いました。