びおソーラー誕生秘話/松原美樹
エピソードⅣ
お金がない!どうしよう??? 〜びおソーラーへ続く道(2014年)
父が他界してから愛知県で一人暮らしをさせていた母が認知症になってしまいました。
ご近所にもかなり迷惑をかけているようだったので、これ以上一人にしておくことは出来ないと思い、浜松に連れてくる事にしました。
と言っても私も家内も共働きだったので
馴染みのない場所で母を一人ぼっちにさせておく事は逆効果になると思い、私が会社を辞めて自宅で仕事をしながら母の介護をする事にしました。
浜松に来てから建築設計の仕事は全くしていませんでしたが、とりあえず「一級建築士事務所」の看板をあげました。
ところが認知症の人の世話をするのは物凄く大変!母の相手が精いっぱいで仕事が全く出来なくなり、収入が無いので貯金を切り崩して生活を維持する事になってしまいしました。
「認知症患者には心穏やかに寄り添うようにしなければいけない」とか言いますが そんなきれい事で解決できるような状況ではないのです。
母の世話とお金の心配とダブルで攻撃を受けて、母の主治医からは「このままだとお母さんより先にあなたが死んじゃうよ」と言われてしまいました。
それくらい私自身が精神的に追い詰められていたのだと思います。
そこから母を受け入れてくれる施設を探し始め、運よく実家近くに新しく開設されたグループホームに入居できる事になったので、とりあえず母の介護問題はクリアしました。
次は疲弊してしまったわが家の家計を立て直す事です。
設計事務所の看板を出していても私に依頼が来るのはソーラーに関するものばかり。
対応できるハードは(株)竜洋でつくった時の在庫がまだあったのでしばらくは大丈夫そうでしたが 次のロット分の発注費用を個人的に負担することは無理と思いました。
当時のファンボックスやコントローラは昔の経験を元につくったマイコン制御仕様のものでしたが電子部品の調達コストだけでも数百万円が必要です。
今後もソーラーを続けて行くのであれば、もっとイニシャルコストの掛からないものにしなければならない。
個人的に支えられる程度のコストのものならば、導入時も将来のメンテナンスにおいても施主の負担を少なくする事ができる。
あれこれ制御したところで太陽をコントロールできる訳ではないのだから太陽の動きに素直に従うシンプルなものであればいい。
これらを総合して設備的なものはミニマムにしようと考えた事が現在のびおソーラーの原型になりました。
もし私に潤沢な資金があったならば今頃はAIスピーカーに向かって「今日のびおソーラーの運転状況を教えて!」などと語りかけていたかもしれません。
でも将来的なこのシステムの行く末を考えたならば「あの時、お金がなくて良かった」とも思うのです。
母は今も施設で元気に暮らしています。
もう私の事は認識できていないようですが会えば嬉しそうな顔をしてくれるので、最後まで静かに見守って行きたいと思っています。